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アクセスレポート(アクセス教育情報センター発行)

2021年3月31日号より

 

塾訪問 龍馬進学研究会(2月12日)

今回は、大手塾在籍中はカリスマ国語教師と言われ、龍馬進学研究会を立ち上げてからは子ども、保護者から授業だけでなく、その生き様にも圧倒的な信頼を得ている龍馬進学研究会主宰の安本さんにお話を伺いました。

 

 
















龍馬進学研究会 安本さん



浅見:塾に携わって何年になりますか。

安本:中学受験に携わって36年。その前の塾経験を含めれば38年になります。龍馬進学研究会を立ち上げてからは22年になります。

浅見:なぜ、塾で教えるように。

安本:映画の助監督をしながら、脚本家になりたいという希望がありました。学生の頃、脚本のコンクールに入選したこともあり、その気になっていたのですが、当時は映画業界が不況で最低の時で、仕事がないこともあり収入面で生活が厳しく、アルバイトとして塾で教えるようになったのがキッカケです。塾のアルバイトによる収入がよかったこともあり、徐々に塾に重心が移り、大手塾Aの講師を経て、龍馬進学研究会を立ち上げ現在に至っています。

浅見:脚本家を志望していたというのを聞いて、龍馬進学研究会という塾の見せ方や運営にその一端が表れていると感じますね。

安本:そうですか(笑)。確かにそういうところがあるかもしれません。

浅見:たとえば龍馬のポスターは独特ですよね。ポスターの中にドラマを感じます。


安本:最初から映画のポスターみたいなのを作ろうというのがありました。塾のチラシとかポスタ ーはだいたいパターン化していますよね。そうではなく、「何、これ」と見たら塾のポスターだったというものにしようと思っていました。塾のチラシとして同じようなものを作ったら、新聞に折り込んでも捨てられてしまうので、半分の人に反感を持たれても「何のチラシだろう」と見てもらい知ってもらえればというあざとい確信犯でした(笑)。

浅見:龍馬が普通の塾と違うという印象を持ってもらうことになったと思います。しかし、なかなかこういうポスターを作ろうという発想は出てこないと思うのですが。

安本:お金がないので目立つ方法を考えるしかなかったんです。成り上がり商法。

 

浅見:これだけ長く塾の世界に身を置くことになったのは金銭面だけではないと思いますが何故ですか。教える面白さを感じてですか。

安本:うーん、それもあったと思いますが、何でこんなに塾にはまったのか忘れてしまいましたね(笑)。龍馬を立ち上げてからは塾を運営すること自体、人間としての挑戦になっているかもしれません。

浅見:大手塾Aが千葉に進出してくるときに津田沼戦争と言われていました。

安本:自分が入ったときはその2~3年後でもう落ち着いていましたね。

浅見:その時からずっと国語を教えているわけですか。

安本:自分にはそれしかできませんでしたから。

浅見:小学生対象の中学受験塾でどんな国語の授業をしていました。

安本:最初の頃は上位クラスではなく、国算クラスの担当でしたが、国語というより子どもたちに人生や青春を語っていたように思います。何年か前に還暦祝いで当時の卒業生が来てくれて、「アンポン(安本)といえば青春だ」と言っていましたから、そんな話をしていたんだと思います。かまやつひろしの「我が良き友よ」という歌の中に「子ども相手に人の道 人生など説く男」という歌詞がありますが、いい歳して青春を語る時代錯誤が子どもたちにとって面白かったのかもしれません。でも、お仕着せの教材ではなく、自分でプリントを作ったりしていましたから、教えることへの情熱もあったのでしょうね。対象は小学生でしたけれども小学生扱いしないで話をしていました。だから40歳ぐらいになった教え子に君たちにとって中学受験とはなんだったと聞いたときに「青春でした」と答えてくれたのは嬉しかったですね。現在、50歳近くになる彼らに何らかの影響を与える存在だったのかと思うと、今から振りかえるとすごいことだったと感じます。当時は自分もまだ独身で青春だったのでしょうね。

浅見:相手が子どもだからと話のレベルを子どもたちに合わせずに話しているように思います。

安本:そういうことができないのですね。建前で話すことが下手(笑)。それは保護者に対しても同じです。

浅見:中学受験で教えている人たちの中には、相手が小学生だからと甘く見て対応している人が多いように思います。

安本:その子の人生を預かっているというのが基本的に自分の中にあります。龍馬になってから特にそうです。大手塾にいるときは、国語科の中で自分がどの位置にいるかを考えていましたが、龍馬を立ち上げてからは4科目でこの子をどう合格させるかを強く意識しています。自分だけが前面に出てはいけないというのが変わってきたところです。大手塾の時はいい結果が出れば俺のおかげだみたいな我が物顔でしたが、今はこの子にとってどうしたらよいかというのが先にきます。責任を強く感じるようになりました。その分、1日1日がシンドイと感じるようになりましたが、今までの自分の生活を支えてくれた仕事でもあり感謝の気持ちもありますから、もう少し頑張って続けて行こうと思っています。

浅見:安本さんは国語の読解力をつけるには人を好きになることだということを言っていましたね。


安本:それが卒業生の青春の話にもつながっていると思います。恋をすると相手の言動に敏感になる。それが、文章に描写されている言葉やしぐさから人の気持ちを読み取ることにつながる。

最近は、「AIが発達してくるとどれだけ算数ができてもそれは機械に取って代わられてしまうが、人の気持ちがわかるということはなかなか取って代わられないだろう」ということを話しています。どういう人が役に立つ人かと言えば、1つは、長い資料を読む時間が無いからまとめておいてくれと言われたときに、どれだけ要点をまとめられるか、つまり理解力の高い人です。もう1つは人の気持ちがわかることができる人間ということです。この2つが世の中のリーダーに求められるだろうということを伝えています。国語の勉強をする大切さはそこにあるということを言っています。

それも機械に取って代わられるかもしれませんが、自分はそういう思いでやってきましたし、自分が正しいと思ったことをやっていくしかできないと思っています。

浅見:龍馬を作って自分でやろうとしたのは何故ですか。

安本:大手塾Aに14年半いて、最初は自由にやれて面白かったのですが、だんだん組織化が進み、難関校に600人合格させるという数値目標が本部で決められ、それに沿って各教室にノルマが与えられてきました。600作戦とかいっても、難関校に600人合格させるためにどうするということが一切無く、ただ数字だけが教室に割り当てられることに対して、何だこれはと思いました。会社の営業ノルマみたいなものです。自分は、塾の講師はサラリーマンではないと思っていましたし、そういう組織の中でやっていくことは詐欺のように感じました。生活が安定しているから続けていていいのかという点で自分が納得できませんでした。

ムリやり有名校に受験生を向けるというより、講師の魅力で子供たちを育てたい。同じ仕事をするなら、そういう塾をやりたかったというのがあったと思います。ですから、龍馬の最初のチラシに「塾とは先生のことを指す。ぼくたちは会社ではなく塾を作りたかった」という一文を入れました。20年以上経ちましたがいまだにそれは守っているつもりです。

浅見:龍馬では受験する学校に関しては家庭に全て任せているわけですか

安本:津田沼という場所にいると受験する学校というのは大体決まってしまいます。自分は基本的には東京の学校を見ることを勧めています。でも最近は皆さん千葉の学校しか見ていないです。

千葉では選択肢が狭いし、受験日が統一されていないので、合格する子はいくつも合格するけれど、落ちる子は全て落ちるという形になってしまうわけです。大手塾Bでは受験指導の結果なのでしょうが、専修大松戸や芝浦工大柏などに進学が決まった子は恥ずかしくて進学先が言えないという歪んだ状況になっています。塾のコマーシャルにならない学校は勧めないから、そういう学校を受験する人は肩身が狭くなってしまう。これは不幸ですよ。自分が進学する学校を誇りに思えないというのは。

浅見:大手塾Cでは、普段の授業中から開成・麻布・武蔵・桜蔭・女子学院・雙葉以外は学校ではないというような言い方をして、子どもを煽っているという話を聞いた事があります。まさかとは思いますが。安本さんとしては幅広い選択肢の中から学校を選んでほしいということですね。

安本:そういう環境は作ってあげたいです。千葉の学校が難関校として定着してきたのはこの20年です。それまでは東京の学校の滑り止めだったわけです。この20年で偏差値が上がってきたので、入学者の学力は上がってきていますが、大学の進学実績を競っている状況で、学校の懐の深さという点ではまだまだのように感じます。

そういう面では、どこに何人合格させたかがいい塾のようにいわれる塾業界と似ていますよね。東大に何人合格を出したかがその学校の価値だと言っている間は学校側も受験生側も成熟していないということではないでしょうか。

今年から学校名が変わり共学になる学校の説明会に行った龍馬の保護者が「とても素晴らしかった」と言ってきたので、「何がよかったのですか」と聞いたら「○年後に東大に○名合格を出しますと言っていました」ということでした。思わず「お母さんしっかりしてください」と言いました。校名が変わり共学になる学校の最初のアピールがそれかと思うとがっかりします。

浅見:以前、埼玉のある私学が説明会や学校案内で6年後の大学実績がこうなりますというグラフを出して生徒募集に利用していたことがあります。誰も6年後にはそのことを覚えていないのでしょうが、当時の学校案内を保管しておいて、実際の大学入試結果と比べてみたことがあります。

安本:将来の構想を語るのはよいですけれど、6年後の大学合格の約束が学校のセールスポイントなら、予備校をやればいいんです。塾側の人間としてはそういう学校は疑ってかかるのが正しい判断だと思います。

浅見:中学入試の段階で、特別クラス選抜やコース制選抜を行っている学校もあります。中学入試の段階で、まして1回の試験で子どもの能力や適性を見抜くことができるわけがないのに。

安本:でも、そういう常識が受験生の保護者の中にないんです。よく考えてみれば1回の試験で東大だ医学部だの能力が測れるわけがないのはわかるはずです。にもかかわらず東大コースに合格すれば東大に受かった気持ちになってしまう保護者もいるわけです。それが中学受験のあり方を歪めている1つであるとも思います。やたら横文字を使ったコース名も気恥ずかしい誇大広告に感じます。

浅見:受験生側にも、この学校のこのコース、このクラスに合格したならその学校に進学させてもいいという保護者がいるのも事実ですね。

これまでの話の中にも出てきてはいますが、龍馬の特徴はどんなところですか。

安本:設立の理念として「塾とは先生である」と表明しているように、先生の水準を高く保つということがいの一番です。教室は受験勉強をするところではありますが、それ自体が部活であると思っています。自分たちは受験勉強という部活を指導しているわけです。

さらに特徴としては親が卒業生になるということでしょうか。

龍馬は塾としては昭和の名残を引きずっている塾だと言われます。ポリシーを変えず、時代に合わせることが出来なかったのが、逆に幸いして塾として続いているのかもしれません。

変化できなかったことが塾の特徴となり、そういう塾がいいと支持してくれる人もいます。

浅見:龍馬の説明会に来ると、龍馬の考え方に賛同している保護者の人が多いと感じます。

塾も私学も、その考え方に賛同する人が集まってくればよいのだと思います。

浅見:保護者の方にどんなことを望みますか。

安本:終始一貫言い続けてきたのは、皆さんは何のためにお子さんに中学受験をさせるのですかということです。それは究極的にはカッコいい大人にするためでしょうと。別の言葉で言えば一人前の人間にするということです。それが、何のために中学受験をさせるのですかと聞くと答えられないわけです。いい中学に行くため、いい大学に行くため、いい就職をするためくらいしか漠然と頭にないわけです。いい就職をして家を建てるのが目的だと最終的には家のローンを抱えるために勉強しているということになってしまう(笑)。

そういうことではなく、親がこの子をちゃんとした大人にする責任がある。そうすると、合格こそが受験の全てだという考え方がそもそもおかしいということがわかってもらえる。中学受験は一番落ちてもいい受験ですと話します。保護者会に来られたお父さんにこの話をすると納得してもらえる。お母さん方はそうは言っても落ちたら可哀想というふうになりますが。親として、落ちる経験をさせるために受験をさせるという気持ちを持っていてほしい。

浅見:自分も受験前に子どもたちに話すときに、落ちる経験もしてほしいという話をします。落ちて初めてわかることがたくさんあるわけです。受験を甘く考えていた、もっとしっかり勉強しておけばよかった、最後まで諦めずに入試を乗り越えることが出来た、親がどんな言葉をかけてくれた等々。もちろん、落ちたときは保護者とともにフォローはいたしますが。

安本:入室説明会でそういう話をすると、アンケートに、初めから落ちたときの言い訳をしていると書かれたことがあります。でも、入試前の壮行会に卒業生が応援に来てくれますが、みんな落ちた時のことを話してくれます。その苦しさや悲しみが自分を創っていくと知っています。これはすばらしい伝統だなと思っています。落ちることを自慢する塾なんです(笑)。

浅見:今、子どもたちと関わっている中での面白さはどんなところですか。

安本:面白さとは少し違うかもしれませんが、信頼されていることに対する責任感、使命感を感じます。自分たちを信じてくれている子たちにどう応えていくか。それが面白いということですかね。

今は、自分たちへの信頼に対する責任がキチンと果たせているかということしかないですね。それが出来たと思えたら自分の人生は幸せだったと思えるのかな。


浅見:子どもたちに対する接し方も変わってきましたか。

安本:必然的に変わらざるを得ないですね。根本的な思いは変わっていませんが、子どもたちから見ると、お兄さんから始まって、お父さんと同じくらいのおじさんを経て、今やおじいさんですから。自分から距離を置かなくても、自然にできてきた距離というのがあると思います。だからといって自分から子どもたちとの接し方を変えたということはありませんが。

浅見:塾の立場から塾の存在意義というのはどう思いますか。

安本:進学塾という立場から言うと、塾は学校を選び受験するための勉強をする所です。入試問題レベルの小学校で教えてない勉強をしているということです。そこが塾と学校との大きな違いだと思います。ただ、人格形成が学校にあって塾にはないとは思いません。受験という機会を通しての人格形成。むしろそれが中心かもしれません。塾でやる学習内容はどこの塾でもそれほど差があるわけではない。それを意識して子どもたちに責任を持って向き合っているかで塾の特徴が出てくると思います。そう信じています。

浅見:保護者はどのように塾を使えばよいですか。上手な塾の使い方は。

安本:抽象的かもしれませんが、一緒に子育てをしてもらいたいと思います。預かった以上、受験に対してこちらは責任がありますが、その時に余計なお世話だと言われたり、全て塾に任せますと言われたりしても困るわけです。その子にとって何が一番よいのかを一緒に考えてくれる塾を見つけることが塾を上手く使うことになると思います。

ただ、それに応えられる塾の人間がどれだけいるかを思うと、ほとんどいないと言うのが現状ではないでしょうか。形だけの塾の先生が言う「睡眠時間は何時間までとか、受験生たるものはこうでなくてはならない」ということを信じて、金科玉条のように押しいただいてしまう保護者にも問題があると思います。

そもそも、親は、子どもが受験生としての自覚を持っていて当たり前と思っている。勉強大好きなんて子は例外なのに、その理想と比べて、「うちの子は・・・」となって子どもにあたってしまう。

子どもは基本的に勉強が嫌いという所からスタートしなくてはいけないのに、「うちの子は中学受験に向いているでしょうか」という質問がよくあります。ほとんどの子が向いているわけがない。それを親の責任としてどうするかということから話を始めます。

浅見:親も塾の卒業生になって欲しいと言われていましたが。

安本:なって欲しいというより、親も卒業生になってくれます。最後は龍馬の考え方を理解してもらえていると思います。卒業式には親子で参加してもらうのですが、話を聞いているとむしろ親の方が強烈な思い出を持ってくれているようです。

子どもからすれば自分はおじいさんみたいなもので、親御さんの方が子どもの年齢なんですね。子どもは自分のことをこわいじじいとしか思ってないですが、親御さんにはそれなりに自分の話を感じてもらえているようです。

ただ、子どもは中学受験の後も成長して親から離れていくわけですが、中学受験は親子で臨む受験なので、いつまでも中学受験の時のイメージをいだいたまま、親の方が子離れできないという例もあります。

浅見:子どもの勉強を家で見てくださいということを言うのですか。

安本:言いません。できればいいですけど、それをやっている家庭が普通だと思わないでくださいと言っています。親が見られないから成績が悪いということはありません。両親が共働きでも桜蔭や開成に合格している子もいるわけですから。

今年、確信したことがあります。コロナの対応で例年と違う形を取って功を奏したことが1つあります。前年の6年生との比較を取っていて、今年の6年生は前年の上位生を超える子が一人もいませんでした。ところが、フタを開けてみると前年以上の結果になりました。大きな要因は自習室を9月から開放したことだと思います。昨年はコロナでリモート授業を行ったりしましたが、家にいると座ってはいるが集中することができないのが子どもだということがよくわかりました。

自習室に来て集中して1時間やるのと、家でボンヤリ座っていることの積み重ねが大きな差になるのがわかりました。勉強は究極的には自分でやるものなんですが、子どもは自分でやっているとついつい気がそれたりボーッとしたりするわけです。ところが自習室ではボーっとはできなかった。それが今年の入試結果の勝因だと思います。

今年の6年生はこちらから言われたことを一生懸命やる二流の力はあるが、自分で勉強を管理してやれる一流の力はなかった。でも自習室を使うことで超二流になったと思います。それで志望校以上の学校に皆が合格できたのだと思います。

コロナで授業ができない時もありましたが、自習室の開放も含め、保護者からは塾はやれるだけのことをやってくれたと思ってもらえたと思います。それは、この子たちに親が何を望んでいて、今、何をどうやるかということを、保護者から要求される前にやれたからだと思います。

浅見:普段、子どもたちを見ていないと何がキッカケで伸びたとか、なにが必要なのかというのはわかりませんよね。大手塾ではそれができないから数字でしか子どもを見られないわけです。

安本:保護者会では、龍馬史上最低、これほどできの悪い学年はめずらしいという話をずっとしていました。親は苦笑っていましたが。それが、この結果になったので本当に驚きです。お兄ちゃんがいた親から「兄の時もそう言われたのよね」という話が伝わっているらしいですけれども(笑)。

龍馬では、親と塾の人間という立場を超えて、一家というか、そういう一体感が出来ていると自負はあります。

浅見:保護者にはどんなことを望まれますか。

安本:さっき話したとおり、何のために中学受験をするのかをしっかりと持っていて欲しいということです。ちゃんとした大人に育てるためなのに、そうでなくて一流校と言われる学校に合格することが目標になってしまっていないか自覚していてくださいと伝えています。

やるべきことはちゃんとやる、最後までやり遂げる。そこに中学受験を経験させる大きな意味があると思っています。入試が終わったときに「失敗の経験をさせたかったから中学受験をさせたのよ」と言える親になっていて欲しいですね。そのときに親が「この学校にしか合格できなかったのは恥ずかしい」などと言うと全てが無駄になってしまいます。

浅見:不合格になっても子どもに「いい経験ができたね」と言って欲しいですよね。

安本:それが本当の大人でしょう。

浅見:子どもを見ていて伸びる子はどんな子ですか。

安本:天才と言える子ですね(笑)。あるいは大人の感覚を持っている子です。

二流の子が超二流になることはできるけれども、一流になるには天賦の才がないと難しい。

しかし、伸び方に差はあっても、やるべきことをやるのが一人前の人間の資格です。

苦しくて、やめたいやめたいと言いながらも、最後までやり遂げた子は何か一つ乗り越えているものがあり、それが顔つきに表れます。やり遂げたということが1つの成功体験なんです。

あんな苦しいことを最後までやったのだから、これから何かあっても乗り越えられるという意識。それ1つをとっても立派な大人になる条件を1つクリアしたことになると確信を持って言えます。

浅見:受験生として家庭ではどのように対応したらよいですか。

安本:矛盾するようですけど、放っとかない、甘えさせないということでしょうか。保護者会では子どもを愛してください、愛してもいいけれど信じないでくださいと言います。子どもは自分の都合のいいようにいくらでも嘘をつきますから。信じるに値する人間に育てているわけで、10歳や11歳の子どもを人間的に信じていると言っている方がおかしいでしょうと言います。問題の答を写して全部○をつけて家庭学習を終わりにしている子は普通にいますから。「うちの子はそんなことはしていません。そんなことのないように私が見ていますから」という方もおられますが、ありのままを認めて人としてどうかという視点で付き合って欲しいですね。

ありのままの子どもをそのまま愛してやって欲しい。40人中30番であっても、まずそれを認めてあげて、そこからどうするかを考えてあげて欲しい。次は20番になりなさいというアドバイスしかできないのは頭の悪い大人の証明でしかないと言っています。

受験というとどうしても成績がバロメーターになってしまいがちですが、我が子をそのバロメーターで測ることはもっともやってはいけないことでしょう。頑張った30番と何もしない30番では意味が違う。そこを見ているかが重要でしょう。一生懸命やっても失敗することもあれば、何もしなくてもいい結果が出ることもあるわけです。それを結果だけでほめたりけなしたりすることはおかしいと自分に置き換えてみればわかることなのに、それをやっていませんかと話します。

「今回30番だったけれど、あなたが頑張っていたのは知っているよ」と言ってあげるのが親でしょう。それなのに順位だけにこだわるのは親の頭の悪さが出てしまっていますよね、という話をすると嫌な顔をされます。あの時は嫌なことを言うなと思ったけれど、後から、その通りだなと思いましたという親御さんは多いです(笑)。

浅見:これまでの保護者や卒業生で印象に残っている人は。

安本: 大手塾Aの時のお母さんで、さっき、アンポンといえば青春だと言った鹿児島ラ・サールから医者になった子のお母さんですが、「中学受験をさせようと思ったのは、この子が生まれてきて良かったと思えるように育てたかったからです。親の勝手で授かった命ですから、その子が産んでくれて有り難うと言ってくれるように育ってほしい。そのためには公立の教育内容ではダメだと思った。どうせ行かせるなら寮生活がある鹿児島ラ・サールに行かせようと思いました」と話してくれました。このお母さんが、今の自分を作っていると感じます。

学童が終わって、彼が「お母さん、僕は明日からどうするの」と聞かれたときに「お母さんは明日から教育ママになるから」と言ったら、彼は大笑いしたそうです。その翌日に大手塾Aの入室テストを受け、体験授業が自分でした。そこから付き合いが始まったのですが、このお母さんの考え方と覚悟が中学受験の原点だと思っています。因みにその時の彼のテスト偏差は37だったそうです。

生まれてきて良かったと思える、つまり、一人前の人間に育てる、カッコいい人間に育てることが親の役目だと思い、ラ・サールに進学させ、そこでいろいろな友達や先輩に出会い、いいことも悪いこと(停学くらって反省文も書かされたことがある)も体験する様子を見て、これが彼の青春だと思うとうらやましくて仕方がなかったそうです。

卒業生では、やはり大手塾Aの時の最後の卒業生で、その校舎で1番の子でした。2番から5番の子は開成に合格したのですが、彼だけが不合格に。海城に進学。海城でもずっとトップで、将来NASAに行きたいと言っていた。東大から東大大学院で宇宙工学を。研究室に一人なので研究費を一人で使ってる(笑)。絶対確実だと言われた開成を失敗した彼だが、なによりも海城を愛し、学園祭の実行委員長までやり、充実した学校生活を送る。中学受験の第1志望に不合格になっても、それが人生を敗北に導くものではないという例として彼をあげたいと思います。

浅見:学校選択の話がありましたが、学校を見る上での注意点がありましたら。

安本:将来の大学実績など耳障りのよい話をする学校は気をつけた方がいいと思います。

浅見:好きな学校はありますか。

安本:両極端に見えますが、武蔵と巣鴨は好きですね。徹底して生徒の自主性に任せるか、徹底して手を出すか。それが私学らしいところでしょう。龍馬は有無を言わせずガリガリとやらせて二流を超二流にするところが巣鴨的だと言われることがあります。

浅見:私学に望むことは。

中高の6年間は人生の中でもっとも重要な時期ではないかという気がします。特に、そこで誰と出会ったかが人生に大きな影響を与えると思います。その6年間で出会えて良かったと言える大人がどれくらいいるかが学校の魅力の全てと言ってもよいのでは。

どれだけ魅力的な大人がいるかがその学校の特色ではないかと思います。

浅見:自分深めの学習という取り組みを行っている学校同士の勉強会で、「自分は卒業生として、この学校が行っている取り組みを生徒とともに行いたくて、この学校の教員になりました」という若い先生がいました。私学の先生になる場合、その学校がどんな取り組みをしているのかを知った上で、それに賛同してなって欲しいと思います。=

安本:母校を愛するというのは、学校が有名だから云々ではなくて、自分がその学校で過ごした時間が宝物だったから出てくるものでしょう。開成のどこが好きだと言われて、東大の合格者が多いからという人はいないでしょう。本人の充実度がその学校に行ってよかったということにつながるのではないでしょうか。その意味でも魅力的な先生の多くいる学校であって欲しいですね。

浅見:受験を通して子どもが成長するために必要なことは

安本:落ちること、やり遂げることの2つですね。不合格には、これだけやっても落ちたという痛切なものもありますが、全然やらなくて落ちたという甘っちょろいものもあります。全然やらなくて落ちた子はまさか自分が落ちるとは思ってなくて、落ちて初めてちゃんとやらなかった自分を反省することになります。これだけやっても落ちたという場合、自分の力では及ばないことがあるということを12歳にして知ることになるわけです。この場合は大人の対応が大切です。対応を間違うとずっと立ち直れない傷を負うことになります。それさえ間違わなければ、中学受験は純粋に甲子園を目指している高校球児と同じ敗れてなお美しいと言える経験だと思います。

浅見:中学受験に関わる塾に求められることは。

安本:中学受験の仕事をするわけですから、何のために中学受験をするのか、それはちゃんとした大人に育てるためだということをわかっているべきだということですね。

いわゆる合格屋ではないということです。中学受験は大学受験の近道を獲得するためというのは、何かを忘れている。そういう塾が意外と多い気もします。

中学に進学する子どもたちに、次の6年間で君がすることは誰よりも自分を誇れる人間になれ、自分で自分を誇れるようになれと言っています。カッコいいことを言いすぎかもしれませんが、理想論を語れなかったら塾をやっている資格はないと思います。

浅見:話し残したことがあれば。

安本:コロナで最初の緊急事態宣言が出たときにリモート授業が広まって、リモートは素晴らしいと言っていた塾がありましたが、それならずっとリモート授業をやっていればと言いたくなります。リモート配信技術がその塾の素晴らしさみたいに言うのは語るに落ちてはいませんか。保護者の皆さんには塾や私学の本質は何かをよく考えて欲しいと思います。ぼくは「人」だと思っています。

 

(文責 アクセス教育情報センター)