講師コラム

エピソード3

その時の僕はこの世で一番不幸な顔をしていた。

 何人かの生徒の受験が思うようにいかなかった。周囲の期待とギャップのある結果に逃げ出したい気分になっていただけなのだろう。足を引っぱる俗物の同僚もいた。そいつを張り飛ばして八つ当たりもした(そいつは男のくせに泣きやがった)。

 そんな時だった、家でも不機嫌な自分に女房が、
「違うでしょ、一番つらいのは落ちた生徒でしょ。あなたが今一番しなくちゃならないのは、その子たちを励ましてあげることなんじゃないの?自分の実績がどうの、カッコ悪いこと言わないで。先生なんじゃないの。合格させることが先生の仕事なの?私は違うと思う。これからがむしろ本当の先生の仕事なんじゃないの?」

 典型的な亭主関白の自他共に認めている僕でも、この時の女房の言葉はこたえた。“きれいごと”と思われるかもしれないが。だが、今も僕はこの時の女房に感謝している。口では一度も伝えたことはないが ―。

「結果にかかわらず、君たちは僕の自慢の生徒である」。

 無責任かもしれないが、その時のつらい思いこそ、最高の結果なのかもしれない。自慢にはならないが、二十年もこの仕事をしていると、つらい思い出こそが彼らにも自分にも財産になっている気がする。

 世間では、未だに小学生の塾通いはひどい、かわいそうなことだという認識がある。僕は全くそうは思わない。
 目的を持って生きる青春を彼らが喜々として受け入れている現実がそこにあるからだ。甲子園で全力を尽くして敗れた者を笑う人間はいない。笑う奴らの人生こそ暗くて寂しいのだ。彼らは、たとえ味方のエラーで敗れても責めたりしない。「結果」が幸せなのではないことを知っているからだ。

 受験生が百人いれば百のドラマがそこにある。彼らが手に入れるのは「ゴール」ではなく、「スタート」だ。「合格」は単純に幸せである。しかし、「不合格」という結果も彼らの青春には大きな財産である。どちらの結果であれ、彼らに敗北はない。彼らの青春を共有できる自分こそが幸せ者である。

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